代表挨拶・沿革・ヒストリー

代表挨拶

100周年を迎えて

代表取締役社長
廣瀨德藏

 株式会社プロスタッフは、創立100周年を迎えました。100年もの間、たくさんの製品をご愛顧いただいたこと、また事業を発展できたことに深く感謝いたします。世界的なドルショック、オイルショック、リーマンショックといった苦難を乗り越えられることが出来たのも、本当に多くの取引企業様や従業員に支えられたからこそであり、皆様に心より感謝を申し上げます。

 弊社は創立以来、新市場への挑戦を続けてまいりました。「お客さまに喜ばれるモノづくり」、これは時代ともにつくるものが変わっても永遠に変わらない私たちの思いです。プロスタッフは、さらなる100年に向け、社会に貢献できる企業を目指し、皆様に愛され喜ばれる製品づくりと企業活動を行ってまいります。

 皆様の変わらぬご愛顧とご支援を心よりお願い申し上げます。

沿革

大正 4年 4月
竹原權治、大阪にて大日本紡績設営工事に伴い、
機械設備全般の設計施工工事を請け負い独立、創業
大正 8年 4月
愛知県一宮市長良町にて、竹原鉄工所を創立
大正 9年 2月
竹原式輪具撚糸機の製造及び販売を開始
昭和 6年 7月
一宮市大正通6丁目に工場を新設し移転
昭和21年 7月
戦災により、本社・工場を犬山に移転
昭和21年 7月
CABTONバイクの製造に携わる
昭和27年12月
(株)竹原機械製作所を設立し、産業機械器具の製造並びに販売を業とす
昭和38年 2月
一宮市丹羽大森に工場を新設、撚糸事業部を設置
昭和40年12月
(株)竹原機械製作所より(株)竹原へ商号を変更
昭和43年12月
自動車用品事業部を設置して用品開発研究を開始
昭和50年 5月
自動車用品の製造及び販売を開始
昭和51年 3月
「キイロビン」が(財)全日本交通安全協会の推薦品となる
推薦品番号 =No.45
品名 =ウインドークリーナー 商標 =キイロビン
昭和51年10月
芳香剤の製造及び販売を開始
昭和62年 7月
目黒営業所開設
昭和63年 6月
大阪営業所開設
平成 1年 5月
福岡営業所開設
平成 6年 4月
仙台営業所開設
平成 7年 5月
目黒営業所を東京支店とする
平成 8年 5月
東京支店に第一営業所、第二営業所を開設
平成 9年12月
本社所在地を一宮市へ移転
平成10年 2月
家庭用品の製造及び販売を開始
平成10年 5月
東京支店に特販課を開設
平成14年 5月
資本金を49,993,860円へ増資
平成14年 8月
洗車用品Jabbシリーズの販売を開始
平成15年 9月
中華人民共和国に上海保斯道汽車用品有限公司設立
平成16年 2月
中華人民共和国に上海保斯道貿易有限公司設立
平成17年10月
(株)プロッツァ設立 
平成17年11月
資本金を100,000,000円に増資
平成18年 5月
一宮市奥町に一宮ロジスティックセンター開設
平成20年 5月
(株)竹原より(株)プロスタッフへ商号を変更
平成20年 9月
EV事業部を設立
平成20年11月
一宮市浅野に名古屋営業所を移転
平成20年11月
一宮市浅野に電気のりもの館設立
平成21年 1月
岐阜県海津市に岐阜EVセンター開設
平成21年 3月
電動スクーターの販売を開始
平成22年 4月
福岡営業所を移転拡張
平成22年10月
一宮EVセンターを開設
平成23年 6月
マン島TT Zeroに電動バイクで参戦し、完走5位入賞
平成23年 7月
台湾に、EV拠点となる台湾保斯道有限公司を設立
平成24年 2月
フィリピンに、EV製造拠点 Prozza Hirose Manufacturing Inc. を設立
平成25年 4月
EV事業部を(株)プロッツァへ移管
平成25年 5月
一宮市丹羽に名古屋営業所を移転

ヒストリー

創業時から流れる、時代の最先端を行く技術開発のDNA

 私たちプロスタッフの歴史は、現代表の祖父・竹原権治が大日本紡織(現ユニチカ)の設営に伴う機械設備全般の設計・施工・工事を請け負い、1919年(大正8年)に一宮市長良町に竹原鉄工所を創立したことから始まります。
 大正デモクラシーの時代に繊維産業が躍進する中、「竹原式輪具撚糸機」は使いやすさと高い生産性で好評を博し、「竹原」ブランドは業界で確固たる地位を確立していきます。コンピュータもセンサもない時代に、機械機構だけで複雑な工程を制御する紡織機械は、当時の最先端技術の結晶でした。

竹原式輪具撚糸機 竹原式輪具撚糸機 竹原式輪具撚糸機

 しかし、日本が戦争への道をたどると、竹原は軍需工場としての役割を求められるようになります。機械製造で培われた高度な金属加工技術が、飛行機部品の製造で必要とされたからです。工場は戦火を逃れるため、一宮から犬山への工場移転を余儀なくされます。そして迎えた終戦。日本中が荒廃していた時代の中で、竹原は新しい時代に向けた挑戦を開始します。

 終戦直後、工場には繊維機械の製造を再開するための設備が整っていませんでした。その頃の竹原は、独自のマフラーでその名を知られたオートバイメーカー・CABTONの部品製造を担っています。同時に、社員の誰もが「竹原式輪具撚糸機を再び世に出す」という強い思いを抱いていました。そして1952年、竹原機械製作所を設立、ついに繊維機械メーカーとして念願の復活を果たします。ところが、それもつかの間、当時の日本には新しい産業の波が押し寄せようとしていました。今後の日本の基幹産業となっていくモータリゼーションです。竹原はそこに新たなマーケットを見い出していきます。

マスプロダクション時代の市場開拓

 1968年、新たな事業に取り組むべく、自動車用品事業部を設立します。きっかけは、先代社長の廣瀬猛が雨の日に追突事故を起こしたことでした。廣瀬猛は、ドライバーの視界不良を改善できるような製品を作りたいという想いでガラス用油膜取りの開発に着手します。そして8年間の開発期間を経て完成したのが「キイロビン」でした。キイロビンの使用効果はこれまでにない画期的なものでしたが、しかし異業種への新規参入は容易ではありません。当時、竹原はカーケア業界でまったく無名の会社で、販売店から相手にしてもらえなかったからです。

 新たな市場を切り拓くため、現社長の廣瀬徳蔵(以下、廣瀬)は、青年時代にガソリンスタンドを一軒一軒売り歩いて回ったといいます。初めの頃は本当にまったく売れず、父親に弱音を吐くと「売ろう売ろうと焦らんでいい。使ってもらって、一人でも多く交通事故から助かってもらうことができたらそれでいいから」と諭されたそうです。廣瀬は、その言葉を励みにして、こんこんと説明して歩きました。最初に買ってくれたのは、地方のご夫婦が経営している小さなガソリンスタンドでした。この時のご夫婦のやさしい笑顔と感動は今でも忘れることができないと、廣瀬は振り返っています。

発売当時のキイロビン(発売時の商品名はビックリン) 発売当時のキイロビン
(発売時の商品名はビックリン)

 自動車の台数が増え、それに伴う交通事故も急増する中、キイロビンは雨の日の視界不良を解消する商品として業界内で知れ渡るようになります。1976年、(財)全日本交通安全協会の推薦品となると、認知度が一気に上がって国内全域に市場が拡がっていきます。営業スタッフを総動員して店舗での実演販売を行うようにもなりました。営業スタッフは皆「私たちはどんなお客様にも実演して説明する“プロのスタッフ”なのだ」と自負していました。その思いを込め、竹原は自社の製品に「プロスタッフ」ブランドを冠し、自動車アフターマーケット市場でのシェアを着実に拡大していきます。2003年、生産拠点を海外に拡大する頃には、1000アイテムを超える商品を送り出すようになっていました。

  • 営業マン時代の廣瀬 営業マン時代の廣瀬
  • 多彩な当時のラインナップ 多彩な当時のラインナップ

次の時代への挑戦

 2008年、株式会社竹原から株式会社プロスタッフに商号を変更します。同年、環境にやさしい乗り物社会を見据え、もう一つの新しい挑戦が始まりました。後の「プロッツァ」となるEV事業部の設置です。廣瀬がそのヒントを見出したのは、カー用品工場のある上海での風景でした。「街の多くのバイクが、来るたびに電動に置き換わっていく。EVは遠い未来の乗り物じゃなく、もっと身近な存在なんだ」。つまり、私たちが目指すべきEVは、静かでクリーンでありながら、誰もが暮らしの中で普通に使用でき新たな走る楽しさを提供できる乗り物。こうした背景から、電動バイクの開発が始まりました。

電動スクーターミレット 電動スクーターミレット

 2009年、当社初のEV製品となる電動バイク「EV-R55」が誕生します。さらに翌年には、ペダル付きモデルの「ミレット」を投入。軽快なアピアランスと12色ものカラーバリエーションは多くのマスコミに注目され、静かでクリーンな走りとともに、ファッションに敏感な女性など新たな顧客層の開拓に成功します。一方、最先端への挑戦は性能の追求でも積み重ねられ、2011年にはバイクレースの聖地、マン島TTレース・ゼロエミッション部門に日本から初挑戦し完走5位入賞。
完走することすら難しいレースで初挑戦のチームが出した結果に、世界が驚きました。プロッツァは、時速200kmを超えるレース車両や大容量バッテリーの開発を通じて、様々なノウハウを獲得します。

電動スクーターミレット 電動スクーターミレット

 2012年、フィリピンの排気ガス問題の解決を目指す現地からの呼びかけに応え、これまで培ったノウハウを投入した7人乗りの電動三輪「ペコロ」を開発。フィリピンにEV製造拠点となる Prozza Hirose Manufacturing Inc.(以下、PHM)を設立しました。日本の技術力とフィリピンの労働力を融合させながら、現地のニーズにあった車両モデルへと進化させていきます。PHMはフィリピンで初めて電動三輪の型式認定を取得した工場となりました。また、高価な充電インフラの代わりにバッテリー交換ステーションの普及を推進し、新たなビジネスモデルを築くことに成功します。現在、セブ島やボラカイ島では、ペコロが青い海を背景に軽快に走っている姿があちこちで見られるようになっています。

  • ペコロとバッテリーステーション ペコロとバッテリーステーション
  • マン島TTへのレース参戦 マン島TTへのレース参戦

使う人の笑顔のために。想う。考える。つくる。

新ロゴ 新ロゴ

 繊維機械、カー用品、EV事業。歴史を振り返ってみると私たちの歩みは、時代が要請する課題に向き合い、夢中でその解決に取組んだ歴史と言えるかもしれません。創業以来続く「お客さまに喜ばれるモノづくり」と新市場開拓のDNA。現在も変わらない、私たちの誇りです。そして、その誇りは商品開発はもちろん、お客さまの期待を裏切らない徹底した品質管理という、私たちのモノづくりのDNAとして受け継がれています。
 2019年、プロスタッフは創立100周年を迎えました。そして「Prostaff」ブランドをカー用品だけでなく、今後、幅広いジャンルに普及させたいという想いを込め100周年を機にブランドロゴをリニューアル。使う人の笑顔のために。想う。考える。つくる。私たちは、これからも皆様に愛され喜ばれる製品づくりと企業活動を行ってまいります。

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会社概要・拠点一覧